SECIモデルは、暗黙知と形式知を4つのプロセスで循環させることで、組織の知識創造力を継続的に高める理論です。理論を理解するだけではサイクルは回りません。自社のどの業務から、どのプロセスを起点に回し始めるかの設計が、実践の分かれ目になります。
ナレッジマネジメントの現場では、次のような声をよく耳にします。
- 「どこから手をつければいいのかわからない」 ── SECIモデルは本で読んで理解したが、結局どこから手をつければいいのかわからない
- 「ベテランの勘やコツが失われる」 ── ベテランの勘やコツが、その人が異動・退職すると一緒に失われてしまう
- 「ナレッジベースが形骸化する」 ── ナレッジベースを作っても、誰も更新せずに形骸化してしまう
SECIモデルとは、一橋大学の野中郁次郎名誉教授と竹内弘高教授が1995年に著書『The Knowledge-Creating Company(知識創造企業)』で提唱した知識創造理論です。
共同化・表出化・連結化・内面化という4つのプロセスを螺旋状に繰り返すことで、個人の暗黙知が組織の形式知へと転換され、組織全体の知識創造力が高まっていくと説明されています。
- 今も参照され続ける理論 ── 提唱から30年ほどが経過した時点でも、ナレッジマネジメントの代表的な理論的基盤として参照され続けています
- この記事の内容 ── SECIモデルの各プロセスを実務に落とし込むための具体的な手法に加えて、自社がどこからサイクルを回し始めるべきかの判断基準と、AI時代における役割分担を解説します
この記事でわかること
SECIモデルを理論としては知っているものの、現場への落とし込み方や着手の順番がわからないという方に向けて、実践の手順を中心に整理しています。
- 4つのプロセスの本質と相互関係 — 共同化・表出化・連結化・内面化がなぜ「螺旋状」に回り続ける必要があるのかを理解できます。
- 各プロセスを現場に落とし込む具体的な手法 — シャドーイングや構造化された振り返りセッションなど、明日から試せる施策を紹介します。
- トヨタ自動車・エーザイの実践事例 — 実名企業がSECIサイクルをどのように組織の仕組みとして運用しているかを学べます。
- 「場」のデザインと心理的安全性の考え方 — SECIモデルを機能させるための環境づくりのポイントがわかります。
- どこから回し始めるかのロードマップとAIとの役割分担 — 自社のボトルネックの見つけ方と、AIに任せる領域・人間が担う領域を整理できます。
ナレッジマネジメント担当者や、部門横断でノウハウの属人化に課題を感じている経営層・マネージャーの方に向けて書いています。
最後まで読むと、自社の業務のどこからSECIサイクルを回し始めればよいか、具体的な最初の一歩が見えるようになります。
SECIモデルとは何か——4つのプロセスと螺旋構造
SECIモデルは、知識が共同化・表出化・連結化・内面化という4つのプロセスを経て、暗黙知と形式知の間を行き来しながら創造・拡大されていくことを説明する理論です。
一度きりのプロセスではなく、一巡するごとに知識の質と量が高まっていく「螺旋(スパイラル)」として描かれる点が特徴です。まずは全体像を押さえたうえで、各プロセスの実践方法を見ていきます。
4つの知識変換プロセス
SECIモデルは、知識が以下の4つのプロセスを経て創造・拡大されることを示しています。
| プロセス |
変換の方向・核心 |
代表的な「場」 |
| 共同化(Socialization) |
暗黙知 → 暗黙知/体験の共有 |
現場、OJT、懇親会 |
| 表出化(Externalization) |
暗黙知 → 形式知/概念の創造 |
対話、ブレスト、振り返り |
| 連結化(Combination) |
形式知 → 形式知/知識の体系化 |
会議、データベース、マニュアル |
| 内面化(Internalization) |
形式知 → 暗黙知/実践を通じた体得 |
研修、シミュレーション、実務 |
この4つのプロセスは一方向ではなく、螺旋状に繰り返されます。重要なのは、4つのうちどれか1つだけを強化しても螺旋は回らないという点です。
たとえば連結化(データベース化)にどれだけ投資しても、その手前の表出化が弱ければ、体系化される中身自体が薄いままになってしまいます。
「場」の概念
野中教授は、SECIモデルの各プロセスが効果的に機能するには適切な「場」が必要だと説きました。「場」とは、知識共有が促進される環境のことで、次の3つを含みます。
ツールやシステムを導入するだけでは「場」は生まれません。誰が、どのタイミングで、どんな心理状態でその場に参加するのかまで設計して初めて、知識が実際に流れ始めます。
なぜ経営管理でこの理論が重要なのか
ノウハウが特定の担当者の頭の中にしか無い状態は、その担当者が異動・退職した瞬間に組織の競争力が落ちるリスクを抱えています。
SECIモデルは、この属人化したノウハウを「個人の頭の中」から「組織の仕組み」へ移していく考え方を提供してくれます。
- システムは器のひとつ ── ナレッジベースやCRMのようなシステムは、この移行を支える器のひとつに過ぎず、器を用意するだけで知識が自然に流れ込むわけではありません
- 対話の設計が要 ── 共同化と表出化という、人と人との対話を通じたプロセスをどう設計するかが、実践のポイントになってきます
SECIモデルの導入がうまくいかない組織を見ていくと、失敗パターンにはある程度共通点があります。
- 1つ目:器だけが先行 ── いきなり全社的なナレッジ基盤を構築しようとして、表出化の中身が伴わないまま器だけが先行してしまうケース
- 2つ目:特定の担当者に依存 ── 振り返りやナレッジ共有を特定の担当者の善意やまじめさに依存させてしまい、その人が異動・退職すると仕組みごと止まってしまうケース
- 3つ目:号令だけで終わる ── 心理的安全性が確保されないまま「知見を共有してください」と号令だけをかけてしまい、本音の言語化が進まないケース
逆に言えば、これら3つの壁を1つずつ意識して設計すれば、SECIサイクルは特別な予算や大規模な制度がなくても回し始められます。
共同化(Socialization)の実践——体験の共有で暗黙知を伝える
共同化は、言語化されていない暗黙知を、体験の共有を通じてそのまま伝達するプロセスです。「見て覚える」「一緒にやって感じる」がその本質であり、マニュアル化が難しい領域でもあります。
ここでは、現場で取り入れやすい3つの手法と、リモート環境での代替策を紹介します。
シャドーイング(同行・同席)
新人が熟練社員に同行し、商談や業務を間近で観察します。マニュアルには書かれない「判断の根拠」や「顧客の反応の読み方」といった暗黙知を体験的に吸収できます。
同行後に「なぜあの場面でその質問をしたのか」を短く振り返るだけでも、次の表出化プロセスへのつなぎになります。
クラフトシップ・プログラム
製造業では、若手が熟練工の隣で一定期間作業を行う仕組みが有効です。手の動き、力加減、音や匂いによる品質判断など、五感を通じた知識移転が実現できます。
こうした知識は、そもそも言葉にする難易度が高いため、まず「一緒に体験する」段階を丁寧に設計することが後工程の表出化の質を左右します。
クロスファンクショナルな交流
異なる部門のメンバーが共同でプロジェクトに取り組むことで、それぞれの暗黙知が交差し、新たな気づきが生まれます。
営業が持つ顧客理解と、開発が持つ製品理解が同じ場で交わることで、単独の部門では出てこなかった発想が生まれるケースがあります。
デジタル時代の共同化
リモートワークの普及により、物理的な共同体験の機会は減少しています。しかし、動画共有やリアルタイムの画面共有を活用すれば、デジタル環境でも共同化は可能です。
- 商談の録画共有 ── 物理的な同行が難しい場合の代替手段として有効
- 作業プロセスの動画記録 ── 同じく、物理的な同行が難しい場合の代替手段として有効
ただし、画面越しのやり取りだけでは五感を通じた微妙なニュアンスまで伝えるのは難しいのが実情です。
共同化が特に重要な業務(新人育成・技能伝承など)だけを対面に残し、それ以外はデジタルで済ませるという線引きも現実的な選択肢です。
表出化(Externalization)の実践——SECIモデルの中核となる難しいプロセス
表出化は、個人の暗黙知をメタファー、アナロジー、概念、モデルを用いて言語化するプロセスです。
共同化で共有された「体験」を、他者にも伝わる「言葉」に変換する段階であり、SECIモデルの中核をなし、かつ難易度の高いフェーズと位置づけられています。
ここでは、表出化を進める3つの手法と、うまくいかない組織に共通する落とし穴を整理します。
構造化された振り返りセッション
プロジェクト完了後に「何がうまくいったか」「なぜそう判断したか」を対話を通じて言語化します。単なる報告会ではなく、判断の背景や直感の根拠を掘り下げることがポイントです。
「結果」だけを聞く振り返りでは表出化は進みません。「なぜその判断に至ったのか」という思考のプロセスまで問いかける進行役を置くことが、質を分ける差になってきます。
ストーリーテリング
「あのとき、なぜその判断をしたのか」を物語として語ることで、暗黙知が言語化されやすくなります。成功体験だけでなく、失敗体験のストーリーも貴重なナレッジです。
物語形式は、箇条書きのマニュアルよりも文脈(どんな状況で、何を迷い、なぜその選択をしたか)が残りやすく、後から読んだ人が似た場面に応用しやすいという利点があります。
メタファーの活用
複雑な暗黙知を伝える際、メタファー(比喩)が有効です。野中教授の著書では、ホンダのシティ開発において「クルマの進化論」というメタファーが革新的なデザインを生んだ事例が紹介されています。
抽象的な概念を一言のメタファーに凝縮できると、部門やレイヤーを超えて同じイメージを共有しやすくなります。
表出化が進まない組織に共通する落とし穴
表出化は、心理的安全性が確保されていないと机上の空論で終わってしまいます。
- 評価されないと感じる環境 ── 「こんな判断の理由を話しても評価されない」と感じる環境では、本音の言語化は進みません
- 振り返りの時間が取れない ── 日々の忙しさを理由に振り返りの時間を確保できない組織では、せっかくの仕組みも定着しないケースが見られます
マネージャーが「あなたはなぜいつもその案件で成果を出せるのか」と問いかけ、本人も自覚していないノウハウを引き出す1on1の対話も有効な手段です。
- 1回で終わらせない ── この問いかけを1回やって終わりにしてしまうと効果は限定的です
- 繰り返し問いかける ── 同じ相手に、時期や案件を変えて繰り返し問いかけることで、初めて再現性のあるノウハウとして言語化されていきます
連結化(Combination)の実践——形式知を仕組みとして体系化する
表出化によって言語化された知識も、あちこちのExcelファイルや個人のメモに散らばったままでは、必要なときに誰も探し出せません。
連結化は、こうした形式知を整理・分類・統合し、組織として使える知識体系に組み替えるプロセスです。
- 集約 ── ナレッジベースの構築
- 横展開 ── ベストプラクティスの横展開
- 可視化 ── データ統合とダッシュボード
ここでは、これら3つの実践と、運用を続けるための仕組み化を見ていきます。
ナレッジベースの構築
多くの企業では、議事録や商談メモが個々のExcelやノートに分散し、必要な情報を探すだけで時間がかかってしまうというケースが見られます。
表出化された知識を社内Wiki・FAQ・マニュアルなど1か所に集約し、カテゴリ設計と検索性を確保することが連結化の出発点です。
- 集約先を1つに決める ── 1つに決めても、カテゴリの粒度が細かすぎたり曖昧すぎたりすると、結局は誰も探せない棚になってしまいます
- カテゴリは利用者視点で ── 「この情報を探すとき、自分ならどの言葉で検索するか」という視点で設計することをおすすめします
ナレッジマネジメントツール比較で、ツール選定のポイントを解説しています。
ベストプラクティスの横展開
一部門で成功した手法を文書化し、他部門に展開します。たとえば、営業部門で確立した商談プロセスを他の営業チームに標準的に適用する仕組みです。
横展開する際は、元の部門の状況(顧客層・商材・チーム規模)と展開先の状況が異なる場合があります。
- そのまま適用できる部分 ── 元の部門の手法をそのまま使える範囲
- 自社・自チーム向けに調整すべき部分 ── 展開先の状況に合わせて直す範囲
この2つを切り分けて共有すると、現場での定着率が上がります。
データ統合と可視化
コンタクト・商談・顧客データがバラバラのシステムに分散していると、営業の気づき(暗黙知)がマーケティングや開発部門に共有されないまま埋もれてしまいます。
CRM、SFA、会計システムなど複数のシステムに散在する情報を、リレーションデータベースのような仕組みに統合し、ダッシュボードで可視化することも連結化の一形態です。
- 情報を1つに ── コンタクト・取引・顧客・請求までの情報が1つのデータベース上でつながっている状態にする
- そのまま参照 ── 営業段階で得た気づきをマーケティングや経営層がそのまま参照できるようになる
- 連結化がスムーズに ── 部門をまたいだ知識の連結化がスムーズになる
企業様によって最適な形は異なりますが、こうした一気通貫のデータ連携は経営判断のスピードにも直結してきます。
以下の画面は、複数の指標を1つのダッシュボードに集約したレポート画面の例です。

連結化によって整理された知識も、こうした一覧性のある形にまとめて初めて、日々の経営判断やマネジメント判断に使える情報になります。
ダッシュボードは全体の俯瞰だけでなく、個別の施策単位の結果まで掘り下げて確認できます。以下の画面は、展示会という施策の結果を利益率・原価率のレポートとして確認している例です。

こうした「集計→一覧→掘り下げ」の流れが整っていると、形式知が部門を超えて同じ意味で共有されやすくなります。
HubSpotゴールドパートナーが開発・提供
議事録や商談メモが、HubSpotとNotionに分かれて蓄積されていませんか。HubSpotゴールドパートナーのStartLinkが開発した連携アプリ「Sync for Notion」を使うと、HubSpotのCRM画面からNotionのページやデータベースを直接作成・参照でき(編集はProfessionalプラン)、情報を一元管理できます。無料プランから試せます。HubSpotマーケットプレイスからインストールできます。
連結化を「仕組み」として回す
ナレッジベースの更新を特定の担当者の善意に頼ると、その人が忙しくなった瞬間に更新が止まってしまいます。
案件がクローズしたタイミングで振り返り入力を促す通知を仕込むなど、人の頑張りではなく仕組みで運用を継続させる設計をおすすめします。
- 案件クローズ時の入力を必須化 ── 営業の案件管理であれば、案件をクローズするステージで「受注理由」「失注理由」の入力を必須化する設計は、振り返りの記録を個人の意識に頼らず仕組みで回す一例です
- 属人化を防ぐ ── 担当者が変わっても同じ手順でナレッジが蓄積され続けるため属人化を防ぎ、新人にとっては「何を確認し記録すべきか」を教える役割も果たします
ただし、仕組みを作っただけで知識が集まるわけではありません。表出化の質が低ければ、連結化しても中身の薄いデータベースが出来上がるだけです。
連結化に力を入れる前に、表出化の仕組みが実際に機能しているかを確認することをおすすめします。
内面化(Internalization)の実践——形式知を実践で体得する
内面化は、マニュアルや研修で得た形式知を、実践を通じて自分の暗黙知として体得するプロセスです。
- 「知っている」を「できる」に変える段階
- SECIサイクルの出口 ── 1周してもとの現場に戻ってくる出口にあたる
ここでは、内面化を進める3つの手法と、定着を左右する設計上の注意点を整理します。
ロールプレイング・シミュレーション
営業トークスクリプトを読むだけでなく、実際にロールプレイで練習することで、スクリプトの内容が暗黙知として定着します。
読んで理解した状態と、実際に声に出して使いこなせる状態の間には距離があり、その距離を埋めるのがこのプロセスの役割です。
OJTプログラム
マニュアルで学んだ内容を実際の業務で適用する機会を意図的に設計します。メンターがフィードバックを提供し、実践と振り返りのサイクルを回します。
フィードバックのタイミングが実践から離れるほど、本人の中で「何が良くて何が悪かったか」の記憶が薄れてしまうため、できるだけ実践直後にフィードバックを行うことが定着の鍵になります。
プロトタイピング
新しい手法やプロセスを小規模に試してみることで、形式知の理解が深まり、暗黙知として体得されます。
- 個人差が大きい ── 同じ研修を受けても定着のスピードは人によって異なります
- 繰り返す前提で設計 ── 一度で終わらせず、実践・振り返り・再挑戦のサイクルを繰り返す前提で設計することをおすすめします
内面化がうまくいかない場合、原因を本人の能力の問題として片付けてしまいがちですが、実際にはフィードバックの頻度やタイミングという「仕組み側」の設計不足であるケースも少なくありません。
実名企業に学ぶSECIサイクルの実践
理論だけでは運用のイメージが掴みにくいため、ここでは実名企業がSECIサイクルをどのように組織の仕組みとして運用しているかを見ていきます。
注目してほしいのは、どちらの企業も特別なプロジェクトとしてではなく、日常業務の中にサイクルを組み込んでいる点です。
トヨタ自動車——改善提案制度による知識創造サイクル
トヨタ自動車は、SECIモデルの代表的な実践企業として知られています。改善提案制度は、4つのプロセスがそのまま組み込まれた仕組みです。
| プロセス |
トヨタの取り組み |
| 共同化 |
ラインの作業者同士が日常的にコミュニケーションし、作業上の気づきを共有 |
| 表出化 |
気づきを「改善提案」として言語化・文書化 |
| 連結化 |
採用された改善を「標準作業票」に反映し、全工場に展開 |
| 内面化 |
新しい標準作業を実際の生産ラインで実践し、体得する |
このサイクルが日常業務の中で繰り返されることで、トヨタの生産システムは継続的に進化し続けているとされています。
注目すべきは、この仕組みが特別な部署やプロジェクトチームではなく、日々の生産ラインという「日常業務そのもの」に組み込まれている点です。
改善提案は、書いた人の善意や熱意に依存する制度ではなく、提案・採用・標準化・実践までが一連の業務フローとして設計されているからこそ、現場の日常業務として回り続けています。
エーザイ——「共創の場」による医薬品開発
エーザイは「hhcee活動(human health care earth environment)」として、社員が患者やその家族と直接交流する機会を設けています。
この活動で得た知見は、次のようにSECIサイクルとして回っています。
- 共同化 ── hhcee活動での交流。患者の潜在的なニーズ(暗黙知)を研究者が体験的に理解するための仕組み
- 表出化 ── 得た知見を、医薬品の開発方針として言語化する
- 連結化 ── 開発方針を、研究開発プロセスに統合する
- 内面化 ── 実際の創薬活動で体得する
このSECIサイクルが、エーザイの患者中心の医薬品開発を支えています。
トヨタが「生産現場の改善」を対象にしているのに対し、エーザイは「患者理解」を対象にしている点で領域はまったく異なりますが、暗黙知の源泉となる「現場」に社員を直接触れさせる設計思想は共通しています。
2社に共通する設計思想
トヨタとエーザイでは事業内容も知識創造の対象もまったく異なりますが、共通しているのは次の点です。
- 日常業務に組み込まれた仕組み ── SECIサイクルが特定のプロジェクトだけの一過性の取り組みではなく、日常業務に組み込まれた仕組みとして設計されている
企業様によって最適な形は異なります。たとえば次のように、業種に応じてまず力を入れるプロセスを判断する必要があります。
- 製造業 ── 共同化(現場での気づきの共有)に、まず力を入れる
- 専門性の高いサービス業 ── 表出化(提案の言語化)に、まず力を入れる
いきなり全社的な制度を作ろうとせず、まずは自社の中で最も暗黙知が集中している部署(ベテランへの依存度が高い部署)を1つ選び、小さくサイクルを回してみるのが現実的です。
効果が見えた範囲から、対象部門や頻度を段階的に広げていくことをおすすめします。
SECIモデルを機能させる「場」のデザインと心理的安全性
SECIモデルは、4つのプロセスさえ知っていれば自動的に回るものではありません。それぞれのプロセスが効果的に機能するための「場」を意図的にデザインする必要があります。
- 4つの「場」の整理 ── 各プロセスに対応する場を押さえる
- 心理的安全性 ── すべての場の土台
- 自社規模に合った場の選び方 ── 大掛かりにせず、規模に合わせる
4つの「場」
野中教授は、SECIモデルの各プロセスに対応する4つの「場」を提唱しています。
| プロセス |
場の名称(特徴) |
デジタル時代の例 |
| 共同化 |
創発場(感情・体験の共有) |
動画共有、VR研修 |
| 表出化 |
対話場(対話を通じた概念化) |
オンラインワークショップ、Miro |
| 連結化 |
システム場(知識のDB化・体系化) |
社内Wiki、ナレッジベース |
| 内面化 |
実践場(行動を通じた体得) |
eラーニング、OJT |
心理的安全性の確保
すべての「場」に共通して必要なのが、心理的安全性です。
- 「こんなことを聞いたら恥ずかしい」 ── こうした心理が働くと、暗黙知の共有も言語化も進みません
- 「失敗を報告したら評価が下がる」 ── こうした心理が働くと、暗黙知の共有も言語化も進みません
GoogleのProject Aristotleが示したように、心理的安全性はチームの知識創造力を左右する重要な要素のひとつとされています。
心理的安全性は制度や研修だけで作られるものではなく、マネージャーが日々のミーティングで「失敗の共有」を否定せずに受け止める態度を見せ続けることの積み重ねで醸成されていきます。
自社に合った「場」の選び方
「場」は、大掛かりな会議室や高価なツールを指すとは限りません。
- 週次の朝会の5分間 ── 「気づき共有」にあてるだけでも共同化の場になります
- チャットツールの専用チャンネル ── 「今日の学び」を投稿する運用も表出化の場になり得ます
重要なのは、その場が特定の人の負担や善意に依存せず、仕組みとして継続する設計になっているかどうかです。
- 大掛かりな設計は形骸化しやすい ── 少人数のチームや日々のやり取りが少ない組織にとっては、大掛かりな「場」の設計はかえって形骸化の原因になることがあります
- 小さな習慣を1つ足す ── まずは既存の会議やチャットツールに小さな習慣を1つ足すところから始め、定着が確認できてから対象範囲や頻度を段階的に広げていくやり方をおすすめします
AI時代のSECIモデル——AIと人間の役割分担
AIの進化は、SECIモデルの各プロセス、特に連結化を大きく加速させています。一方で、暗黙知の共有と言語化は依然として人間の役割です。
ここでは、どこまでをAIに任せ、どこを人間が担うべきかを整理します。
各プロセスへのAI活用
| プロセス |
AI活用例 |
| 共同化 |
AI議事録ツールによる会議記録、商談録画のAI分析 |
| 表出化 |
AIによるインタビューの構造化、暗黙知の言語化支援 |
| 連結化 |
RAG・ナレッジグラフによる大量知識の自動構造化 |
| 内面化 |
AIチューターによる個別最適化された学習プログラム |
たとえば、GraphRAG技術を用いて社内文書から知識の関連性を自動抽出し、ナレッジグラフとして構造化する取り組みは、連結化の進化形として注目されています。
パナソニック コネクトが開発した、AIエージェントがナレッジグラフを参照して回答する技術もその一例です。AIを活用したナレッジ共有の手法については、AIナレッジ共有でも紹介しています。
AIが得意なこと・人間が判断すべきこと
| 領域 |
AIが得意なこと |
人間が担うべきこと |
| 知識の構造化 |
大量の文書からの関連性抽出、ナレッジグラフ化 |
どの知識を重視するかの判断 |
| 知識の言語化 |
インタビューの文字起こし・要約 |
暗黙知の核心を引き出す問いかけ |
| 学習支援 |
個別最適化された反復トレーニング |
実践結果へのフィードバックと評価 |
AIは超一流の熟練者そのものになるわけではなく、あくまで人間の判断を助けるアシスタントとして位置づけるのが現実的です。
たとえば、AIが議事録から論点を要約してくれても、「この案件でなぜその判断をしたのか」という核心を引き出す問いかけは、依然として人間にしかできません。
- 叩き台として使う ── AIが出してきた要約や構造化案を叩き台として使い、そこから人間が内容を精査・修正していく進め方が、現時点では最も実務的なバランスだと考えています
- 人間が確認してから反映 ── AIの出力をそのままナレッジベースに登録するのではなく、人間が確認してから反映する運用にしておくと、誤った形式知が蓄積されて参照する全員に誤解が広がるリスクを減らせます
AI活用の前提となる表出化の質
AIが得意なのは、既に言葉になっている知識を整理・構造化することです。
逆に言えば、そもそも表出化が進んでおらず、社内に言語化された知識がほとんど無い状態では、AIに大量の文書を読み込ませても価値のある示唆は出てきません。
- 先に「場」を確認する ── 連結化の自動化ばかりに投資する前に、共同化と表出化の「場」が実際に機能しているかを確認することをおすすめします
- 順序を間違えない ── 順序を間違えると、高性能なAIツールを導入したのに「参照できる知識がほとんど無い」という状態に陥ってしまいます
SECIモデルの実践ロードマップ——自社はどこから回し始めるか
ここまで各プロセスの実践手法を見てきましたが、導入でつまずく組織の多くは、全部を一度にやろうとして失敗しています。
私たちは、まず自社のボトルネックがどのプロセスにあるかを特定し、そこから小さく回し始めることをおすすめしています。
組織の症状からボトルネックを特定する
SECIサイクルは4つのプロセスのどれかが詰まると全体が止まります。次の表は、組織でよく見られる状態と、詰まっている可能性が高いプロセス、最初の一手の対応を整理したものです。
| 組織で見られる状態 |
詰まっている可能性が高いプロセス |
最初の一手 |
| ベテランの仕事を新人が間近で見る機会がほとんどない |
共同化 |
同行・同席や作業の動画共有など、体験を共有する場を定期化する |
| 振り返りが結果報告で終わり、「なぜ」の話が出てこない |
表出化 |
判断の背景を問いかける進行役を置いた振り返りセッションを設ける |
| 議事録やノウハウがExcelや個人メモに散らばっている |
連結化 |
集約先を1つに決め、利用者の検索言葉でカテゴリを設計する |
| マニュアルを渡しても現場で使われず形骸化する |
内面化 |
実践直後にフィードバックを返す仕組みを先に作る |
複数の状態に当てはまる場合は、いちばん手前にあるプロセスから直すのが基本です。
表出化が止まっているのに連結化の器だけ整えても、流れる中身が無いままだからです。
段階的に広げる導入ステップ
ボトルネックが見えたら、次のような順で小さく始めて広げていく進め方をおすすめします。
| 段階 |
対象範囲 |
やること |
| 第1段階 |
暗黙知が集中している1部署 |
表出化の場を1つ作る(例:週次の振り返りで「今週の気づき」を1人1つ言語化する) |
| 第2段階 |
同じ部署内 |
出てきた知見の集約先を1つに決め、記録のタイミングを業務フローに組み込む |
| 第3段階 |
隣接部門へ拡大 |
1か月ほど継続して効果を確認し、定着が見えた範囲から対象と頻度を広げる |
トヨタやエーザイの例は大掛かりな制度に見えますが、あれも日常業務に組み込まれた小さな循環が積み重なった結果です。
全社への展開は、最初のサイクルが回っていることを確認してから考えれば十分です。
SECIモデルの実践が向かないケースと先にやるべきこと
SECIモデルは万能ではなく、組織の状態によっては先に解決すべき課題があります。次のような状況では、サイクルを回す前の準備が必要です。
| 状況 |
起きがちな問題 |
先にやること |
| 業務プロセスそのものが標準化されていない |
何を形式知にすべきか決まらず、器だけが残る |
業務の可視化・標準化から着手する |
| 失敗や異論を共有すると評価が下がる空気がある |
本音の言語化が進まず、場が形骸化する |
心理的安全性づくりと評価・フィードバックの見直し |
| 全社一括の制度として一気に導入する |
現場の実情に合わず、形だけの運用になる |
1チームでのスモールスタートに切り替える |
| ツール導入が先に決まっている |
入れ物だけが先行し、流す中身が伴わない |
表出化の場を先に作り、流す中身を用意する |
また、SECIモデルは知識創造の考え方であって、ツール導入の手順書ではありません。「知識をためること」自体が目的化してしまうと、使われないナレッジの棚が増えるだけです。
知識を回す先にある成果(新人の立ち上がり、提案品質、判断の一貫性など)をあらかじめ言葉にしておくと、サイクルが目的を見失わずに回せます。
よくある質問
Q1. SECIモデルは古い理論ではないですか?
1995年に提唱された理論ですが、AI時代においてむしろ重要性が増しています。AIが連結化を加速する一方で、暗黙知の共有(共同化)や言語化(表出化)は依然として人間の役割です。SECIモデルは「何をAIに任せ、何を人間が担うか」を整理するフレームワークとしても有効です。
Q2. SECIモデルの4つのプロセスのうち、最も重要なのはどれですか?
SECIモデルでは「表出化」が中核となる、難易度の高いプロセスと位置づけられています。暗黙知を形式知に変換する表出化がボトルネックになると、その後の連結化・内面化も機能しません。多くの企業が連結化(データベース化)に注力しがちですが、まず表出化の仕組みを整えることを優先することをおすすめします。
Q3. リモートワーク環境でSECIモデルは機能しますか?
共同化のハードルは上がりますが、工夫次第で機能します。動画・画面共有による体験の疑似共有、オンラインワークショップでの対話促進、社内Wikiやチャットツールでの日常的なナレッジ発信など、デジタルツールを活用した「場」のデザインが鍵になります。共同化が特に重要な業務だけ対面を残す、といった線引きも現実的な工夫のひとつです。
Q4. SECIモデルを組織に導入する最初のステップは何ですか?
まず「表出化」の仕組みを1つ作ることをおすすめします。たとえば、週次の振り返りミーティングで「今週の気づき」を言語化し、社内Wikiに記録するだけでも、SECIサイクルの起点になります。仕組みが特定の担当者に依存しないよう、記録先とタイミングをあらかじめ決めておくことがポイントです。
まとめ
- SECIモデルは、共同化(体験の共有)、表出化(暗黙知の言語化)、連結化(知識の体系化)、内面化(実践を通じた体得)の4プロセスを螺旋状に回すことで、組織の知識創造力を継続的に高める理論です
- 実践の成否は「どこから回し始めるか」で決まります。組織の症状からボトルネックを特定し、暗黙知が集中している1部署から小さな循環を始めるのが現実的な進め方です
- トヨタ自動車の改善提案制度やエーザイのhhcee活動が示すように、SECIモデルを機能させるには適切な「場」のデザインと心理的安全性の確保、そして人の善意に頼らない仕組み化が欠かせません
- AI時代においても、暗黙知の共有と言語化は人間の役割であり、SECIモデルは「何をAIに任せ、何を人間が担うか」を整理するフレームワークとしても活用できます
最初の一歩としては、まず「表出化」の場を1つだけ作ることをおすすめします。具体的には、次の3ステップから始めてみてください。
- 週次の振り返りミーティングを15分だけ設定し、「今週の気づき」を1人1つ言語化する
- 出てきた気づきを、社内Wikiやチャットの専用チャンネルなど1か所に集約する
- 1か月続けてみて、効果が見えた範囲から対象部門や頻度を段階的に広げる
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