「部門ごとにAIツールを導入したが、それぞれが独立して動いていて全体が噛み合わない」「チャットボット、メール生成AI、データ分析AI――個々は優秀だが、連携がない」「AIツールが増えるほど、管理コストが膨らんでいく」
これは、AI導入に積極的な企業ほど直面する構造的な課題である。個別のAIエージェントが部門単位で成果を出し始める一方で、エージェント間の連携が設計されていない「AIのサイロ化」が新たなボトルネックとなっている。営業が使うAIとマーケティングが使うAIが別々の顧客情報を参照し、カスタマーサポートのAIは商談状況を把握していない。結果として、社内の人間が「AI同士の橋渡し役」を担うという本末転倒の事態が生じる。
この課題を根本から解決するのが、CRMを基盤としたエージェントオーケストレーションという設計思想だ。複数のAIエージェントを統合的に管理・連携させ、顧客データという共通基盤の上で協調動作させる。本記事では、CRMがなぜオーケストレーション基盤として最適なのか、具体的にどのような設計パターンがあるのか、そしてどのように段階的に導入すべきかを、実務に即して体系的に解説する。
エージェントオーケストレーションとは、複数のAIエージェントに対して、役割の割り当て、実行順序の制御、データの受け渡し、人間による承認ポイントの設計を一元的に行う仕組みを指す。オーケストラの指揮者が各楽器の演奏タイミングと強弱を統制するように、オーケストレーション基盤は各エージェントの動作を調整し、全体として一貫した業務フローを実現する。
Microsoftは「AIエージェントオーケストレーションパターン」を技術文書として公開しており、SAPは「AI Foundation / AI OS」としてAIオーケストレーション基盤の提供を開始している。エンタープライズ領域において、エージェントオーケストレーションは単なるバズワードではなく、実装すべきアーキテクチャの標準パターンとして確立されつつある。
| 観点 | 単体AI活用 | エージェントオーケストレーション |
|---|---|---|
| 運用形態 | 部門ごとに個別のAIツールを導入 | 統合基盤上で複数エージェントが協調動作 |
| データ参照 | 各ツールが個別のデータソースを参照 | 全エージェントが共通のデータ基盤を参照 |
| エージェント間連携 | 連携なし、または人間が手動で橋渡し | ワークフローで自動連携、エージェント間でデータ受け渡し |
| 人間の監督 | 各ツールの出力を個別に確認 | 承認ポイントが設計され、フロー内で監督 |
| 拡張性 | ツール追加のたびに管理コストが増加 | 基盤上にエージェントを追加する形で拡張 |
| 成果の範囲 | 部門内の局所最適 | 部門横断的な全体最適 |
富士通の事例では、AIエージェント7体を連携させ、提案・採択・評価・成長の各プロセスを自動化することで大幅な生産性向上を実現した。これは単体AIの積み重ねでは到達できない成果であり、オーケストレーションによって初めて実現する「複合的な自動化」の好例だ。
AIエージェントのオーケストレーションには、各エージェントが共通で参照できるデータ基盤が不可欠である。CRMはまさにその条件を満たす。CRMには、顧客情報・企業情報・商談履歴・コミュニケーション履歴・行動データ・サポート履歴が一元的に蓄積されており、すべてのAIエージェントが「同じ顧客像」を参照した上で判断・行動できる。
これは、マーケティング、営業、カスタマーサポートという異なる部門のエージェントが、同一の顧客コンテキストに基づいて協調するための必須条件だ。データが分散していれば、各エージェントは断片的な情報で動くことになり、顧客体験の一貫性が損なわれる。
オーケストレーションの実装には、「トリガー → 条件分岐 → アクション」という実行制御の仕組みが必要だ。CRMプラットフォームの多くは、このワークフローエンジンを標準で備えている。
たとえばHubSpotでは、フォーム送信をトリガーに、レコードの要約をAI(Breeze)に依頼し、その結果に基づいて営業問い合わせか一般問い合わせかを判定し、後続のアクションを分岐させるワークフローを構築できる。このワークフロー自体がオーケストレーションの実体であり、専用のオーケストレーション基盤を別途構築する必要がない。
さらに、ワークフロー内でOpenAI・Gemini・Claudeなどの外部LLMを呼び出すことも可能だ。CRMのデータ処理の中にプロンプトを組み込み、AIにデータの精査・分類・生成を行わせる。CRM上のワークフローエンジンは、AIエージェントの「指揮台」として機能する。
CRMプラットフォームは、アプリマーケットプレイスを通じて外部ツールとの接続基盤を提供している。Slack、Zoom、Google Workspace、各種BIツールなど、業務で使用するアプリケーションとの連携がネイティブに可能だ。これにより、CRMを中心としたオーケストレーション基盤は、社内の業務ツール全体を巻き込んだエージェント連携へと拡張できる。
ここからは、CRMを基盤としたエージェントオーケストレーションの具体的な設計パターンを5つ紹介する。各パターンは独立して導入可能であり、段階的に組み合わせていくことで全体最適を実現する。
Webフォームからの問い合わせに対して、AIエージェントが自動で判定・分類・振り分けを行い、適切な担当者または後続のエージェントにパスするパターンだ。
| ステップ | 実行者 | 処理内容 |
|---|---|---|
| 1. トリガー | ワークフロー | フォーム送信を検知 |
| 2. データ要約 | AIエージェント | 送信内容・企業情報・過去の接触履歴をもとにレコードを要約 |
| 3. 判定 | AIエージェント | 営業問い合わせ / サポート問い合わせ / 一般問い合わせを分類 |
| 4. 振り分け | ワークフロー | 判定結果に基づき、営業担当 / CSチーム / 自動応答に振り分け |
| 5. 初動対応 | AIエージェント + 人間 | 自動応答メール送信 + 担当者に通知 |
このパターンの要点は、「フォーム送信」という単一のトリガーから、複数のAI処理と人間の判断を組み合わせた一連のフローが自動で実行される点にある。HubSpotのワークフローでは、Breezeに対してプロンプトでデータ処理の方法を指示し、AIが判定結果をプロパティに書き戻すことで、後続の条件分岐と連動させることができる。
新規リードに対する営業アプローチを、リサーチからメール作成、人間レビュー、配信までを一連のフローとして設計するパターンだ。
| ステップ | 実行者 | 処理内容 |
|---|---|---|
| 1. リード登録 | ワークフロー | CRMに新規コンタクトが登録されたことを検知 |
| 2. 企業リサーチ | 案件創出エージェント | 企業のWebサイト・ニュースを自動リサーチし、CRMに情報追記 |
| 3. メール作成 | 案件創出エージェント | リサーチ結果と顧客属性に基づき、パーソナライズされたメールを生成 |
| 4. 人間レビュー | 営業担当者 | AIが生成したメールを確認し、承認または修正 |
| 5. 配信 | ワークフロー | 承認後に自動配信。開封・クリックをCRMで追跡 |
これはHubSpotのBreeze案件創出エージェントが実装している典型的なフローである。AIが下調べとドラフト作成を担当し、人間が最終判断を行う「Human-in-the-Loop」型のオーケストレーションとして設計されている。営業担当者は、リサーチとメール作成の時間を削減しつつ、送信内容の品質管理は自分の手で行える。
顧客からの問い合わせに対して、AIエージェントが一次対応を行い、解決できない場合は人間のサポート担当にエスカレーションするパターンだ。
| ステップ | 実行者 | 処理内容 |
|---|---|---|
| 1. 問い合わせ受付 | 顧客対応エージェント | チャット・メール・フォーム経由の問い合わせを受付 |
| 2. コンテキスト取得 | 顧客対応エージェント | CRMから顧客情報・契約状況・過去の問い合わせ履歴を参照 |
| 3. AI回答生成 | 顧客対応エージェント | ナレッジベースとCRMデータに基づき回答を生成 |
| 4. 判定・分岐 | ワークフロー | AI回答で解決 → クローズ / 解決困難 → 人間にエスカレーション |
| 5. エスカレーション | ワークフロー + 人間 | チケット作成 + 対応履歴をサポート担当に引き継ぎ |
HubSpotのBreeze顧客対応エージェントは、ナレッジベースの記事やヘルプドキュメントをRAG(検索拡張生成)の手法で参照し、顧客の質問に対してコンテキストを踏まえた回答を生成する。ポイントは、AIが対応した履歴がすべてCRMに記録されるため、エスカレーション先の人間が「何をAIが回答し、何が解決できなかったか」を即座に把握できる点にある。
CRMに蓄積されるデータの品質を、AIエージェントが自動的に維持・向上させるパターンだ。
| ステップ | 実行者 | 処理内容 |
|---|---|---|
| 1. データ入力検知 | ワークフロー | 新規レコード作成・更新をトリガーとして検知 |
| 2. クレンジング | データエージェント | 表記ゆれの統一、不正値の検出、フォーマットの正規化 |
| 3. 名寄せ | データエージェント | 重複レコードの検出と統合候補の提示 |
| 4. エンリッチメント | データエージェント | 外部データソースから企業情報・業種・従業員規模を補完 |
| 5. 品質レポート | データエージェント | データ品質スコアの算出と改善レポートを管理者に送信 |
CRMのデータ品質は、すべてのオーケストレーションの精度を左右する土台である。HubSpotのBreezeデータエージェントは、プロパティやアクティビティデータからデータを整形し、CRM内のデータ処理のタイミングでプロンプトのようにデータ処理の方法を指示することで、AIが自動的に精査を行う。データ品質の維持が自動化されることで、他のすべてのオーケストレーションパターンの精度が底上げされる。
マーケティング → 営業 → カスタマーサクセスという顧客ライフサイクル全体を横断するオーケストレーションだ。これは前述の4つのパターンを組み合わせた応用パターンとなる。
| フェーズ | 担当エージェント | 処理の流れ |
|---|---|---|
| リード獲得 | コンテンツエージェント | SEO記事・ホワイトペーパーの生成 → フォーム経由でリード獲得 |
| リード判定 | データエージェント + ワークフロー | データ品質の確保 + スコアリング → MQL判定 |
| 営業アプローチ | 案件創出エージェント | リサーチ → メール作成 → 人間レビュー → 配信 |
| 商談・受注 | 案件創出エージェント + 人間 | 商談進捗管理 + 提案資料の下書き生成 |
| カスタマーサクセス | 顧客対応エージェント | オンボーディング支援 + 問い合わせ対応 + 解約リスク検知 |
このパターンの実現には、すべてのエージェントが同一のCRM上で稼働し、顧客レコードを中心にデータが一貫して流れる設計が前提となる。HubSpotの場合、Breezeの4種類のエージェント(顧客対応エージェント・案件創出エージェント・コンテンツエージェント・データエージェント)がCRMプラットフォーム上で統合的に動作するため、クロスファンクショナルなオーケストレーションを一つの基盤上で構築できる。
5つの設計パターンを効果的に機能させるためには、以下の3つの原則に基づいて設計を行う必要がある。
すべてのAIエージェントが参照するデータは、一つの信頼できるデータ基盤に集約されていなければならない。顧客情報がCRMとExcelとSFAに分散している状態では、エージェントAは「この顧客は商談中」と判断し、エージェントBは「この顧客はまだリード段階」と判断するといった矛盾が生じる。
CRMをシングルソースオブトゥルースとして設計することで、全エージェントが同じ「事実」に基づいて判断・行動する。データの一元化はオーケストレーションの精度を担保する最も基本的な条件だ。
AIエージェントの自律性が高まるほど、「どこに人間の判断ポイントを設けるか」の設計が重要になる。完全自動化を目指すのではなく、「AIが提案し、人間が承認する」ポイントを意図的に設計するのがHuman-in-the-Loopの考え方だ。
具体的な設計指針は以下の通りである。
| 判断の性質 | 推奨アプローチ | 具体例 |
|---|---|---|
| 定型的・低リスク | AIが自動実行(事後モニタリング) | データクレンジング、問い合わせ分類 |
| 半定型的・中リスク | AIが提案 → 人間が承認 | 営業メールの送信、チケットのエスカレーション |
| 非定型・高リスク | AIが情報整理 → 人間が判断・実行 | 大口商談の対応方針、契約条件の変更 |
オーケストレーションの導入において、最初からすべてを自動化しようとしないことが重要だ。以下の4段階で自律性を拡大していく設計が、リスクを最小化しながら効果を最大化する。
| 段階 | 自律レベル | 内容 |
|---|---|---|
| レベル1 | アシスタント | AIが情報を整理・要約し、人間がすべて判断・実行する |
| レベル2 | 提案者 | AIがアクションを提案し、人間が承認してから実行する |
| レベル3 | 自律実行(監督付き) | AIが自動実行し、人間が結果をモニタリング・例外対応する |
| レベル4 | 完全自律 | AIが自動実行し、人間はKPIレベルで管理する |
多くの業務は、まずレベル1から開始し、AIの出力品質を検証しながらレベル2、レベル3へと段階的に移行するのが望ましい。重要なのは、すべてのエージェントを同じレベルにする必要はないという点だ。データクレンジングはレベル3で稼働させつつ、営業メールの送信はレベル2に留めるといった、業務ごとのリスクに応じた自律レベルの使い分けが実務上は有効である。
CRMを基盤としたエージェントオーケストレーションを自社に導入する際の具体的なステップを、4つのフェーズに分けて解説する。
AIエージェントの導入が進む中、次に問われるのは「個々のエージェントをいかに統合運用するか」という設計の問題だ。エージェントオーケストレーションは、複数のAIエージェントに対して役割の割り当て・実行順序の制御・データの受け渡し・人間による承認ポイントを一元的に設計する仕組みであり、CRMはその基盤として最も適した選択肢の一つである。
CRMがオーケストレーション基盤に適している理由は3つある。顧客を中心としたデータハブであること、ワークフローエンジンが標準装備されていること、そしてアプリ連携エコシステムによる拡張性があることだ。
本記事で紹介した5つの設計パターン(リード対応・営業支援・CS対応・データ品質・クロスファンクショナル)は、段階的に導入し、組み合わせていくことで全体最適を実現する。その際、シングルソースオブトゥルース、Human-in-the-Loop、段階的自律性の拡大という3つの原則を守ることが成功の鍵となる。
AIエージェントの価値を最大化するのは、個々のAIの性能ではなく、それらを統合運用する設計力だ。CRMを基盤としたオーケストレーション設計を、自社の業務変革の起点として検討してほしい。
A. CRMプラットフォームのワークフロー機能を活用する場合、コーディング不要で基本的なオーケストレーションを構築できる。HubSpotのワークフローでは、ノーコードでトリガー設定・条件分岐・AIアクションの組み込みが可能だ。ただし、外部LLM連携やカスタムのAPI接続を行う場合は、一定の技術的知識が必要になる。まずはCRM標準機能の範囲で小さく始めることを推奨する。
A. 導入可能だ。むしろ少人数の組織ほど、人手不足をAIエージェントの連携で補完する効果が大きい。最初はリード対応オーケストレーション(パターン1)やCS対応オーケストレーション(パターン3)など、単一パターンから始め、効果を確認しながら拡大していくアプローチが有効である。
A. なくならない。オーケストレーションは人間の仕事を置き換えるのではなく、役割を再定義するものだ。定型的な処理・判断はAIエージェントに移管し、人間は「AIの出力品質の管理」「例外対応」「創造的な戦略立案」「顧客との深い関係構築」に集中する。Human-in-the-Loopの設計により、人間の判断が必要な場面は意図的に残される。
A. CRMプラットフォームによって難易度は異なる。HubSpotのようにBreezeエージェントがプラットフォームにネイティブ統合されている場合、追加の開発なしでAIエージェントの利用を開始できる。一方、CRMにAI機能が組み込まれていない場合は、API連携や外部オーケストレーションツールの導入が必要になる。自社のCRMがどの程度AIエージェントをサポートしているかを確認することが最初のステップだ。
A. 主要な測定指標は、対応速度(リードへの初回コンタクトまでの時間)、処理件数(エージェントが自動処理した件数)、エラー率(人間による修正が必要だった割合)、顧客満足度(CSAT/NPS)、人件費削減効果の5つだ。パイロット導入前に基準値を計測し、導入後の変化を定量的に追跡することで、投資対効果を明確にできる。